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  • 執筆者の写真みんが

中南米雑貨店「カスカーダ」@牛久 ⑴ 「日本」を抱く南米の国 パラグアイ

更新日:2018年6月18日

牛久市に、南米パラグアイを中心としたラテンアメリカ雑貨の販売、スペイン語教室などを開く「カスカーダ」というお店があります。


私たちが牛久市に引っ越しを決めようとしている時に出会った「カスカーダ」の店主、岩崎克司(いわさき・かつじ)さんは、パラグアイ出身の日系二世として、お店以外にも医療通訳や貿易業務などを通じて、日本とラテンアメリカの架け橋として活躍されています。


今回と次回のブログでは、日本とも深い繋がりを持つパラグアイと、岩崎さんをご紹介したいと思います。


広大な農地に一面に大豆畑が広がる。


南米の中央に位置する国、パラグアイ。そこには推定で約一万人の日系人が暮らしています。明治時代以降、人口が急激に増加し農地が不足していた日本では、資源豊かな土地をめざして、日本から海外へ移住する人が相次ぎました。1866年にハワイへの計画移住がはじまったのを皮切りに南米各国にも多くの日本人が渡りました。  

パラグアイへの入植がはじまったのは1936年のこと。原生林に覆われた土地で、日本からの移住者は自ら木や竹で家を建てて住み、山を焼いて畑を拓きました。過酷な生活に耐え、働き続けた人々は1948年に農業協同組合を設立します。そして首都の市場で農作物の販売をはじめ、生活の基盤を築いていきました。

戦後は日本海外移住振興株式会社(現在の JICA)が新たに直轄移住地を設立したこともあり、1970年代まで日本からの計画的移住が続きました。

入植した日本人がはじめた大豆栽培は、パラグアイ全土に広がり、現在は国の経済を支える主要作物となっています。また日本人が持ち込んだ野菜や果物は、それまで肉中心だったパラグアイの食文化を豊かにしました。こうした背景から日本人移住者やその子孫の日系人は、パラグアイのなかで敬愛を集める存在となっています。経済界で活躍する人や国の要職についている人も多くいます。過去には二人の日系人が駐日パラグアイ大使をつとめました。



           日系人が建てた日本庭園。日系人のみならず、

           パラグアイの人々の憩いの場となっている。


またパラグアイの日系社会では遠く離れた日本を思い、その文化を大切にしてきました。日系移住地では相撲大会や郷土芸能の上演がおこなわれます。しょう油やみそ、豆腐などを使った日本食も馴染みの味です。勤勉な日本人の気質も親から子へと受け継がれ、「『パラグアイの日本人』は『日本の日本人』よりも日本人らしい」といわれるほどです。


           日系移住地の食卓ではのり巻きも定番の料理。


パラグアイ基礎情報 公用語 スペイン語 グアラニー語 通貨 グアラニー 人口 約685万人 面積 40万7000㎢(日本の約1.1倍) 首都 アスンシオン 推定日系人人口 1万人



パラグアイの民族衣装・ニャンドゥティ

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中南米雑貨「カスカーダ」

facebook: https://goo.gl/q4DsvH

住所:茨城県牛久市中央4丁目6-4 中村ビル102 電話: 029-874-2055

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